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Reviews

PPAS特集記事

2009年11月
京都・清水寺における作品展より

旅の意義

旅には必ず筮竹と陰陽五行の方位磁石を持って出掛ける。それは、生かされる旅をしたいからである。つまり素直な自分を取り戻し、一期一会を大切にし、目には見えないものを感じるための旅なのである。旅を続けていくうちに、ご縁に導かれた偶然性といったことに関心を寄せるようになり、アメリカ留学の経験から興味を持ち研究していた古代中国の易学や陰陽五行などと、この偶然性を関連づけることに面白さを見出している。

ピンホール写真は太陽が出現するのを待っていても、撮れる時もあれば撮れない時もある。まさに偶然、何かのご縁、とさえ思える。さらに人は自然(宇宙)と一体なのだと感じる、文字通り「偶然と必然」の意味の探求なのである。そして、私は生かされているのだ、と感じる大切な時間であり、スローな生き方を感じ、日常での自分を見つめ直す旅でもある。

1972年12月に東京から京都に来たこと、これまでしてきたさまざまなことや、そして大学に生かされて30年以上続けている[旅]は、私にとっては[学校]であり[学びの場]なのである。その[旅]で自然の神秘に触れて、自然の恵みへの感謝や、色々な人々との出会いで数え切れない多くのコトを教えられ気付かされた。私は、続ければ続けるほど、少し判ったと思うとまた闇に入る[旅]=[学校]に興味が尽きないのである。今こうして「天・地・人」(天の時、地の利、人の和)の縁を振り返ると、それは悉く、単なる偶然ではなしに、何か不思議な力に導かれた縁のように感じられる。

 一切は陰陽の和するところを持って、成就とは知るべし 『花伝書』

この言葉が示すのは「天・地・人」と表現されている「和合の精神」である。天は陽、地は陰とされ、陰陽の調和、バランスが保たれて、人の「気」が存在すると言っている。人は、天と地の間に存在するから「人間」なのであり、「和するもの」なのである。日本人は古来より流動する自然や宇宙万物のなかで生かされていることを、謙虚に受け止め、その見えない神秘の力に畏敬の念を抱き大切にしてきたのである。私は、今までご縁で生かされていると思うので、これからもご縁を大切にし、そのご縁が何かに役立てばこれほどの喜びはないと思っている。

これもご縁なのだが、戦後65年に当たる2010年8月6日、広島原爆投下の日から、東寺で世界平和祈願の作品展を計画中である。今年そのプロジェクトで広島原爆ドームを訪れ、原爆投下時刻(朝8時15分)に合わせてピンホール写真撮影をした作品は本誌に掲載している。現在も世界各地で戦争や貧困が終わることなく続き、日本でも今も被爆で苦しんでいる人々がいる。世界の平和と平穏を心より願い、また、このプロジェクト[世界の聖地シリーズ]を続けられることに感謝している。


終わりに

先日、水戸芸術館で開催された『BEUYS IN JAPAN』を観てきた。作品の難解さで知られるヨーゼフ・ボイス(Joseph Beuys:独・1921─1986)は、20世紀ドイツ美術界の第一人者である。「人間はみな芸術家である」と語り、「社会彫刻」の概念を提唱するなど多方面に影響を与えたアーティストでもある。また、1979年から80年にかけて、「緑の党」の設立に関わるなど、エコロジー運動に積極的に関与している。私には彼の言葉が強烈に心に残っている。そのなかから、いくつかを紹介したい。

「資本とはいわゆる金融、お金では捕えられないものです。わたしたち人間の創造力、創造性こそが唯一資本であるということが明らかになる日が来るでしょう」「考えること そのものが、彫刻であり造形です」

そう語る彼の言葉を借りれば、「考えること、そのものが、写真(ピンホール写真)であり造形です」とも言い換えられるのではないか、と私は思うのである。